『新源氏物語』の魅力

平安時代に“源氏ブーム”を巻き起こす

 紫式部によって約千年前に書かれた「源氏物語」は、華やかな貴族文化を見事に映し出した王朝文学であり、世界に誇る長編小説の傑作である。時の帝、桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏を中心に、光源氏の孫の代まで数十年にわたる人生のドラマが、全54帖の中で展開する。絶世の美男子・光源氏の恋の遍歴、次々と登場する女性たちのリアルな本音、愛するがゆえに生霊となり恋敵を殺めてしまうほどの激しい嫉妬など…。現代の私たちをも引きつける娯楽エッセンスが凝縮されており、これまで小説、演劇、映画、ドラマ、漫画など様々なジャンルで作品化されてきた。   

「源氏物語絵巻」柏木三(国立国会図書館ウェブサイトより)

 実は、光源氏のモデルと噂される藤原道長が、紫式部の“パトロン”となり、大作を書き上げるために、当時は大変貴重とされた“紙”など十分な環境を与えたとも言われ、彼女の才能は見事に開花。素晴らしい鑑識眼と洞察力で、登場人物たちの心の機微、時の移ろいによる容姿の変化やセンス、衣装や調度といった王朝の暮らしまで、繊細に表現してゆく。宮廷貴族たちの洗練された文化のひとつ、香りで自らの存在を示す「薫香」についても事細かに表現されている。お忍びの突然の訪問であったとしても、衣服に焚き染めたその香りだけで、誰だかわかってしまう…平安貴族たちの中で最先端であった“香りの文化”が何とも艶っぽい逸話で盛り込まれているのもそのひとつと言えよう。
 紫式部が執筆した当時から、女性はもちろん、高貴な身分の男性にいたるまで、この物語に夢中になったという。それは、美しき光源氏の恋模様に心をときめかせる“恋愛小説”という一面だけでなく、当時の流行がたっぷり詰まったファッション誌のような魅力や政権争いの構図を巧みに描いた“政治小説”といった側面もあり、当時の雅な人々がこぞって読む、バイブル的な存在であったのだろう。   

「源氏物語絵巻」横笛(国立国会図書館ウェブサイトより)

 そんな「源氏物語」の主人公、光源氏は3歳で母・桐壺の更衣を亡くし、寂しい幼少期を過ごす。そんな折、母に酷似した新しい母・藤壺の女御に出会い慕うが、12歳で元服した後は、彼女のいる御簾の奥に入ることすら許されなかった。このような当時のしきたりもまた、光源氏の恋慕の情を焦がす要因となり、プレイボーイと言われる光源氏の根幹部分だ。
 現代とは異なる奥ゆかしくも濃厚な平安宮廷の恋愛模様。「源氏物語」は華やかな王朝文化を知るうえでも貴重な古典文学であり、現代の私たちには知るよしもない千年前の美意識やロマンを、豊かに伝えてくれる。

  

宝塚歌劇×「新源氏物語」

  

月組公演『新源氏物語』(1981年/主演:榛名由梨)

 この古典文学の傑作を、稀代の作家たちが現代語訳にして発表。歌集「みだれ髪」で有名な明治の女流歌人で、古典文学に造詣の深い与謝野晶子や「源氏物語」の一大ブームを築き、「細雪」など源氏物語の影響を受けた作品を世に多く送り出した昭和の文豪・谷崎潤一郎の手によるものなど多数。そんな中で、芥川賞など数多くの受賞歴があり、恋愛をテーマとした小説を得意とする田辺聖子が、1978年から1979年にかけて「新源氏物語」を上梓。歌を詠みながら愛の気持ちを交わした原文を踏襲するのではなく、現代の若者にも読みやすい、新解釈を加えた近代小説に仕上げている。登場人物たちの心のありようを分かりやすく、しかも平安王朝の香気をまとう美しい言葉で綴ったこの作品は、「源氏物語」をより身近に引き寄せた。
 多くの人々を魅了してきた光源氏は男役にとってまさに理想の役。宝塚歌劇では創立まもない1919年に早速『源氏物語』が上演されている。その後も何度か企画され、1952年の白井鐵造構成・演出『源氏物語』には、白薔薇のプリンスという異名を持つ宝塚歌劇の至宝、春日野八千代が主演。まさに当たり役となり、高貴な美しさで話題をさらった。   

月組公演『新源氏物語』(1989年/主演:剣 幸)

 柴田侑宏は田辺聖子作「新源氏物語」をベースに、念願の「源氏物語」の劇化に踏み出す。当時の心境を柴田は、「宝塚歌劇柴田侑宏脚本選」の中でこう述べている。
「(田辺)氏がこれまで、宝塚に原作を二本おろしておられるご縁から、お話を伺いに行くと、氏もやはり、ご自分の小説を契機に、今の若い世代を、『源氏物語』に近づけることができたら、という願いのもと書かれたとのことだったので、わが意を得た。そこで、『新源氏物語』を下敷きに、あくまで自由に劇化することを快諾して下さったのである。」
 こうして1981年、月組公演『新源氏物語』を上演。実力、人気ともに全盛期をむかえた、当時月組トップスター・榛名由梨が光源氏を、上原まりが藤壺の女御を演じた。柴田は光源氏を生粋の色男、憂いある貴公子然と描くのではなく、「行動的で、果敢な決断力もある、情熱の青年」ととらえて脚本・演出。藤壺の女御の面影を永遠に追い求める「紫のゆかり」をテーマにし、その行動に一貫性をもたせた。1989年には月組で再演、光源氏を剣 幸、藤壺の女御をこだま愛が演じた。フィナーレも付いた初演版と異なり時間が短くなったものの、ドラマ性を重視しラストシーンに新たな台詞が加えられた。剣、こだまの実力派トップコンビを中心とした月組生の熱演も相まって、より光源氏の生きる決意が浮かび上がり、感動的な幕切れに。再演のたびに生まれ変わる宝塚歌劇版『新源氏物語』。3度目の上演でどのような脚色・演出がなされるのか、その点も注目だ。   

月組公演『新源氏物語』(1981年)

月組公演『新源氏物語』(1989年)

明日海りおを中心とした『新源氏物語』の魅力

  

月組新人公演『夢の浮橋』(2008年)
(明日海りお[匂宮 役])

 新たに『新源氏物語』に挑むのが、トップスター・明日海りお率いる花組。明日海はかつて、光源氏の次の世代を描く「源氏物語」の「宇治十帖」を題材にした月組公演『夢の浮橋』(2008~2009年)に出演。その新人公演では主役の匂宮(光源氏の外孫)を演じている。このときも立烏帽子に色鮮やかな装束と平安王朝の衣装がよく似合い、烈しい恋慕と虚無感を織り交ぜた演技で好演した。
 今回、明日海が演じるのは、当代きっての美男子であり、才気と位も抜きんでた光源氏。その美貌を活かし匂い立つような光の君が、スポットライトの当たった瞬間からそこに存在するに違いない。どこか母性本能をくすぐる甘い雰囲気も、彼女の得意とするところだろう。さらにこの作品の主題、光源氏が義理の母と道ならぬ恋に落ち、生涯にわたり母に似た藤壺の女御の面影を追い求め、多くの女性とさまざまな愛の形を成してゆく“情熱”を、ときに狂おしくどこまでも美しく見せるのではないだろうか。
 光源氏が恋焦がれるマドンナ、藤壺の女御を演じるのは、花組トップ娘役の花乃まりあ。藤壺の女御は一度は光源氏の愛を受け入れるものの、その後東宮(光源氏との子。後の冷泉帝)の将来のために光源氏を拒み、揺れる恋心を内に秘め続ける。先の台湾公演『ベルサイユのばら—フェルゼンとマリー・アントワネット編—』で大役マリー・アントワネットを演じ切った花乃の芝居に、おのずと期待が高まる。そのほかにも、高貴な身分でありながら哀しき嫉妬に狂う六条御息所(柚香 光[二役])、気が強く素直になれない光源氏の正妻・葵の上(花野じゅりあ)、幼き頃より光源氏に理想の女性として育てられた優しい紫の上(桜咲彩花[若紫:春妃うらら])、光源氏の義兄である朱雀帝の寵愛を受けながら光源氏との恋に溺れる朧月夜(仙名彩世)など。光源氏を取り巻く女性たちを花組出演者がどう演じるかも見どころのひとつだ。
 一方、男性キャラクターに目をやれば、光源氏の忠実な従者・惟光(芹香斗亜)は光源氏の恋を取り計らい、主人との軽妙なやりとりも印象に残る振り幅のある役。芹香の新たな一面を見ることができるはず。また、光源氏の親友であり良きライバルでもある頭中将(瀬戸かずや)、光源氏と葵の上の息子である実直な夕霧(鳳月 杏)、夕霧の友人で狂おしいほど女三の宮(朝月希和)に恋焦がれる柏木(柚香 光[二役])など、魅力的なキャラクターに事欠かない王朝絵巻を、今の花組がどう魅せるか。華やかな花組の伝統に新たな1ページが加わる。
  

普遍的なテーマに心射抜かれる

  

花組公演『新源氏物語』(2015年)

 平安時代の雅な衣装、寝殿造りの豪華なセットや華麗な舞などで、宝塚歌劇ならではのきらびやかな世界が繰り広げられる『新源氏物語』。耳に残る伸びやかな旋律の「恋の曼陀羅」(共同作詞/田辺聖子)は、この作品を象徴する名曲だ。「ゆめさまざまの恋を知り ゆめこなごなに傷ついた—」という歌詞から始まる歌は、優美な世界観の中で描かれる「もののあはれ」を巧みに表現している。
 前述の通り、柴田は『新源氏物語』において、光源氏の人生に一本太い道筋を引いた。藤壺の女御への想いに始まる「紫のゆかり」の構図。単なるプレイボーイではなく、藤壺の女御への狂おしいまでの想いから恋の行脚を繰り返し、その中で愛を見出していくというロマン。そこで待つ光源氏の喜びと苦悩は、現代の私たちにも充分共感できる普遍的なものだ。
 さらに本作では、原文でも謎となっている、父・桐壺帝の光源氏に対する想いに大きな一石を投じる。親子の縁と哀しき宿命、因果応報。これまでも人間ドラマを色濃く描いてきた柴田ならではの、ドラマティックな劇構造と余韻にたっぷりと浸ってほしい。

 “明日海源氏”を中心に、華やかな面々が繰り広げる、華やかな王朝文学の世界。ぜひ劇場でお楽しみいただきたい   

用語解説

  • 全54帖
    帖は冊子本をあらわす数詞。源氏物語は54帖で構成される長編小説。
  • 藤原道長
    藤原摂関家の最盛期を築き上げた人物として知られる。
  • 薫香
    練り香など、くゆらせてよいかおりを立てるための香料。たきもの。平安時代は、貴族達が衣類や調度品、手紙などに、香りを焚き染めて楽しんだ。
  • 元服
    男子が成人に達したことを示すための儀式、成人式。10~17歳までの間に行われることが多かった。
  • 御簾
    いまのブラインドやカーテンのようなもの。廂(廊下)と母屋(部屋)の間などに掛けられ、特に緑色の布の縁取りなどをした竹製の簾のこと。大名や公家などが部屋の中や外を分けるのに使われていた。
  • 紫のゆかり
    「源氏物語」の異称。特に、光源氏を囲む恋、筋を動かす女性たちとの恋を指す。光源氏の恋は、生涯をかけて藤壺の女御の面影を追い求めてさまよう。光源氏と藤壺の女御に繋がる(血縁関係にある)女性たちとの恋を表わす。
  • 宇治十帖
    『源氏物語』の最末尾にあたる第3部、光源氏の死後、源氏の子・薫、そして明石の姫君の皇子、匂宮(源氏の外孫)が、愛の彷徨を続ける話で、その「橋姫」から「夢浮橋」までの十帖をいう。主な舞台が都から宇治へ移るため「宇治十帖」と呼ばれている。
  • 烏帽子
    元服した男子の用いた絹や紙に漆を塗った袋状の冠物。
  • 寝殿造り
    平安時代に京都で成立した貴族住宅の様式。基本的に、寝殿、北の対、西の対、東の対という四つの建物で構成。周囲に土塀をめぐらした敷地内に正殿として寝殿を建て、その南に面した中庭を取り囲むように、南向きのコの字形に建物が配されていた。
  • もののあはれ
    平安時代の自然観や文芸の理念、本質とされるもの。しみじみとした情趣の世界をいう。