アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900−1944) フランスの飛行家で小説家。飛行士としての体験をもとに、数々の作品を発表しました。
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1900年6月29日
フランスリヨンに生まれる。
1921年
2年間の兵役に服する。航空隊に入り操縦士となる。
民間の免許を取得して飛行操縦学生となる。
1922年
予備少尉に任官してル・ブールジェに配属される。
1923年
▼軍隊を除隊。
23歳のとき、のちに有名な女流作家になる遠縁のルイーズ・ド・ヴィルモランとの婚約と重症を負った墜落事故を契機に除隊したサン=テグジュペリは、一時空への道をあきらめてボワロン・タイル製造会社に入社します。
ところが、ルイーズからの突然の婚約破棄。
1926年
▼トゥールーズにあるラテコエール航空会社に入社。
挫折続きで人生の目標を失っていたサン=テグジュペリを、今度こそ本格的に飛行士の道に導き入れたのは、ボシュエ学院時代の恩師シュドゥール神父でした。神父は、郵便輸送のラテコエール航空会社のナンバーツーであるベッポ・ド・マッシーミを知っており、同社への就職に仲介の労を取ってくれたのです。
ラテコエール航空会社の創始者ピエール・ラテコエールをマッシーミと一緒に支えたのがディディエ・ドーラ。『夜間飛行』の支配人のモデルとされています。このドーラのもとで鍛えられた飛行士のうち、精悍な顔の美男子で、アンデス山脈越え、南太平洋横断、初の夜間飛行などの偉業をなしとげ、空の英雄として讃えられたのがジャン・ メモルーズ。彼ほど華々しくはないが、沈着冷静でドーラから最良の飛行士として信頼されたのが、大衆的人気を誇ったアンリ・ギヨメ。この二人の先輩との交友は、『人間の土地』のなかで繰り返し語られています。
ドーラは、教育もあり名門出のサン=テグジュペリに対して、飛行士として以上に、その外交的手腕に期待したようです。その結果、彼は砂漠のただなかの中継基地、キャップ・ジュビー(現在のタルファヤ)の飛行場長に任命されました。
1929年
▼『南方郵便機』出版。
砂漠の中の陸の孤島で暮らした1年半の歳月は、路線飛行士時代につづいて、サン=テグジュペリを鍛え上げ、変貌させます。彼は孤独のなかで自己の内面におりてゆき、自分という存在の根である子供時代を発見します。
その想いは『南方郵便機』として結実し、ここに小説家サン=テグジュペリが誕生します。
アエロポスタル社の現地法人アルゼンチン郵便飛行会社の支配人としてブエノスアイレスに赴任。
1930年
▼アルゼンチンで中米サン・サルバドル出身の若き未亡人コンスエロ・スンシンと出会う。
『星の王子さま』のバラにその面影がうかがわれるこの女性は、芸術的才能に恵まれていると同時に、気まぐれでわがままなところも目立ちました。
やがてこの二人の結婚式は、妹ガブリエルの嫁ぎ先、南仏のアゲーの城館でおこなわれることになります。
1931年
フランスに帰国。コンスエロと婚約。
▼『夜間飛行』出版。フェミナ賞を受賞。
サン=テグジュペリが南米から連れてきたのは、コンスエロという一輪のバラばかりではありません。二作目小説『夜間飛行』という収穫も持ち帰ったのです。この作品で、権威ある文学賞であるフェミナ賞を獲得したサン=テグジュペリは、これ以後、作家としての地位をゆるぎないものにします。
1935年
▼パリ=サイゴン間の長距離飛行に挑戦
サン=テグジュペリが購入した自家用機、シムーン第一号機(F-ANRY)は1935年12月におこなわれたパリ=サイゴン間の長距離飛行に使用されましたが、リビア砂漠で砂丘に激突、大破してしまいました。サン=テグジュペリと機関士のプレヴォーは、砂漠を彷徨、四日目にキャラバンに救出されました。この事故が、『星の王子さま』の物語のヒントになっていることは言うまでもありません。
1939年
『人間の土地』出版。
▼第二次世界大戦勃発。予備空軍大尉として召集される。
民間飛行士時代からなじみのトゥールーズの基地に配属されましたが、与えられた部署は後方勤務の教官でした。
これに満足できなかった彼は、軍当局に執拗な働きかけをおこない、33-2長距離偵察飛行大隊に編入されます。
彼が参加した出撃のなかでもっとも危険だったのは、1940年5月におこなわれたアラス上空偵察飛行ですが与えられた任務は、この方面に集結したドイツ軍戦車部隊の所在を確認することでした。高射砲の弾幕をかいくぐってのこの出撃に対しては、感状が授与されました。
こののち、戦況は急速に悪化し、彼の所属する飛行大隊は退避をかさねて、北アフリカのアルジェに向かいます。
1940年
休戦条約が結ばれ帰国。その後ニューヨークへ渡る。
1942年
▼『戦う操縦士』出版。
渡米したサン=テグジュペリは、自分が実際におこなった危険な出撃の体験を中心に据えた『戦う操縦士』を出版します。
1943年
▼北アフリカの原隊に復帰。
連合軍の北アフリカ上陸以後、ドイツ軍は連合軍の侵攻にそなえてフランスを全面占領し、弾圧に乗り出しました。
祖国の苦しみと一体となって戦おうという決意がサン=テグジュペリの心のなかで強くなったのはこのときです。
彼が原隊復帰を考えたのはこの決意のためでした。
▼『星の王子さま』出版。
とくに1942年の夏から集中的に書きはじめられたとされていますが、前年の終わりには突然コンスエロも合衆国にやってきて執筆中は絶えずアントワーヌのそばにいて世話をやきました。
サン=テグジュペリが原隊に復帰するため、船で北アフリカに渡ったのは、『星の王子さま』の出版とほとんど同じころでした。
その一年後に姿を消した彼は、この作品の世界的成功には立ち会っていないのです。
1944年7月31日
偵察飛行のためコルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。
星の王子さま あらすじ
飛行士は6歳の時、大蛇(うわばみ)に飲まれた象の絵を描きました。大人は誰もその絵を理解しようとはしません。
彼は絵描きをあきらめ、飛行士になったのでした。
飛行士はある日、サハラ砂漠の真ん中で飛行機が故障を起こし、たった一人で修理をすることになりました。
すると、突然、小さな少年(星の王子さま)が現れました。王子さまが飛行士に唐突に求めたひつじの絵をきっかけに
二人はいろいろな話を交わし、 お互いの心を通い合わせ始めます。
王子さまが住んでいた小さな星B612のこと、星を後にして旅に出るきっかけになったワガママな花のこと
旅の途中で出会った星の住人たち。地球で1年過ごした王子さまはいろいろなものを見てキツネと出会い
「心で見なくちゃ・・・、大切なことは目に見えないんだ」
ということを教えられるのでした。
そして星に残してきたわがままな花が自分にとっては何よりも大切な唯一の花であることに気づくのです。
二人は井戸を求めて砂漠をさまよい、とうとう井戸を見つけます。
飛行機の修理が終わった夜、王子は空を見上げながら飛行士に
「僕はあの星の中のひとつに住むんだ。どんな時でも君は僕の友達だからね。
僕が笑ったら君も一緒に笑うんだよ。いいね」。
と言い残し、毒ヘビにかまれて静かに消えました。
関連施設のご案内
星の王子さまミュージアム
星の王子さまミュージアム
【特典】
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寄居 星の王子さまPA
星の王子さまパーキングエリア
【特典】
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