時代背景
中国史略年表(戦国時代~三国時代)
虞美人ストーリーにつながる3つの出来事
秦による中国統一
中国の戦国時代に有力だった戦国七国(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)の中で秦が他の六国を押さえ、中国を統一。項羽の故郷である楚は、大将軍・項燕(コウエン)(項羽の祖父)が秦の王翦(オウセン)将軍に敗れたのをきっかけに紀元前223年に滅びたとされている。その後、行われた統一政治は悪政とも言われ、人々を苦しめた。
陳勝・呉広の乱
秦の始皇帝死後、雇われ農夫をしていた陳勝(チンショウ)は徴用されて任地である漁陽(ぎょよう)に向かったが、途中、大沢郷(だいたくきょう)で大雨にあい足止めをされる。任地への到着の遅れは斬罪となった為、追い詰められた陳勝は呉広(ゴコウ)と反乱を起こすことを決意。陳勝は「王侯(おうこう)将相(しょうしょう)、寧(いずく)んぞ種(しゅ)有(あ)らんや(王や諸侯、将軍、宰相は生まれながらに決まっているわけではない、誰でもなれるのだ) 」と、ともにいた900名の農民に説く。中国史上初の農民反乱で、秦末大乱のはじまり。呼応して各地で次々と蜂起が起こった。項梁・項羽、劉邦が旗揚げするきっかけでもある。
楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い)
紀元前206年-紀元前202年の約5年間にわたり、秦王朝滅亡後の政権をめぐり、西楚の覇王項羽と漢王劉邦との間で、当時の中国ほぼ全土で繰り広げられた内戦。この史実をもとにした戯曲が『虞美人』の原作である長与善郎作「項羽と劉邦」である。