宝塚歌劇のはじまり
宝塚少女歌劇第一回公演
宝塚歌劇のはじまり 宝塚少女歌劇第一回公演
1914年4月1日、宝塚歌劇の第一回公演『ドンブラコ』『浮れ達磨』『胡蝶』が、宝塚新温泉の余興として、室内プールを改造したパラダイス劇場で上演されました。これが好評を得て、引き続き年4回の公演を実施することになりました。
観客数は増加し、1921年には、パラダイス劇場、公会堂劇場に分かれて公演を行う二部制を取り入れ、花組・月組が誕生しました。
4000人収容の旧・宝塚大劇場が完成
4000人収容の旧・宝塚大劇場が完成
1924年7月19日、旧・宝塚大劇場のこけら落とし公演が月・花組合同で開幕。高速の回り舞台や、舞台の奥行を利用した出演者の配置、ドンデン返しなど、画期的な演出が話題となりました。
生徒数も200人を超え、同年7月、雪組が発足。翌年より、花・月・雪の3組が月交代で常時公演することになりました。
日本初のレビュー『モン・パリ』上演、
『パリゼット』でレビュー黄金時代へ
日本初のレビュー『モン・パリ』上演、『パリゼット』でレビュー黄金時代へ
1927年、日本初のレビュー、岸田辰彌作『モン・パリ<吾が巴里よ>』が上演され、舞台芸術に新たな息吹をもたらしました。続く1930年の白井鐵造作『パリゼット』ではタップダンスが日本で初めて舞台に登場し話題に。その主題歌「すみれの花咲く頃」「おお宝塚」は、のちに宝塚歌劇を象徴する歌となりました。
旧・東京宝塚劇場がオープン
旧・東京宝塚劇場がオープン
1934年1月、旧・東京宝塚劇場が日比谷に誕生し、月組によるレビュー『花詩集』ほか数作品で華やかにこけら落とし公演が行われました。東京の常設劇場開場に向けて、前年1933年7月には新しく星組が誕生しました。
ドイツとイタリアで、初の海外公演
ドイツとイタリアで、初の海外公演
1938年~翌年にかけ、初の海外公演、ドイツ・イタリア公演(第一回ヨーロッパ公演)が行われました。当時、条約を結び友好関係にあったことから「日独伊親善芸術使節団」として神戸港を出発、ドイツ、ポーランド、イタリアの3ヶ国で公演しました。続いて1939年はアメリカ公演も実施されるなど、海外で日本情緒を随所に表現した作品を上演し、国際親善に大いに貢献しました。
戦時の宝塚歌劇
戦時の宝塚歌劇
1944年、本土への空襲が始まり、宝塚大劇場と東京宝塚劇場を含む全国19劇場が閉鎖されました。宝塚大劇場と周辺の施設も海軍に接収されたため、宝塚の生徒たちは戦時服に身を固め、各地で慰問公演を行いました。
終戦後、1946年4月、2年2ヶ月閉ざされていた宝塚大劇場での公演が再開、東京では翌年4月、有楽町・日本劇場で公演を再開しました。
戦後の復興
第一回ハワイ公演
東京宝塚劇場公演再開
戦後の復興 第一回ハワイ公演、東京宝塚劇場公演再開
1950年代に入り、海外の映画祭や日伊合作映画「蝶々夫人」の撮影に参加するなど、国際的な活動が再開されました。また、1955年、ホノルルの日系人青年商工会議所の「ハワイさくらまつり」に招かれ、第一回ハワイ公演を開催しました。
同年、長らくアーニー・パイル劇場と改称し接収されていた旧・東京宝塚劇場での公演が、『虞美人』で再開を果たしました。
宝塚歌劇の父、小林一三翁逝去
宝塚歌劇の父、小林一三翁逝去
宝塚歌劇の創設者小林一三が、1957年1月25日、逝去しました(享年84)。偉大な宝塚歌劇の父を偲び、1月31日、宝塚大劇場にて荘厳な音楽葬が営まれ、東京宝塚劇場でも3月8日、追悼式が行われました。
宝塚歌劇50周年、
新たな挑戦へ
宝塚歌劇50周年、新たな挑戦へ
東京オリンピックの開催、東海道新幹線の東京~新大阪間開通に活気づく1964年、宝塚歌劇は50周年を迎えました。宝塚大劇場での記念式典では、宝塚歌劇団と宝塚音楽学校の全生徒が紋付袴の正装で整列し「宝塚讃歌」を合唱しました。
1967年、新たな挑戦として初の海外ミュージカル『オクラホマ!』を上演、翌年は『ウェストサイド物語』、翌々年にも『回転木馬』を上演し、高く評価されました。
日本万国博覧会とともに賑わう宝塚歌劇
日本万国博覧会とともに賑わう宝塚歌劇
1970年、大阪でアジア初の国際博、日本万国博覧会(EXPO’70)が開催されました。宝塚大劇場では、会期に合わせてレビュー『タカラヅカEXPO’70』を、第1部・四季の踊り絵巻、第2部・ハロー!タカラヅカの二部構成で上演し、万国博の人気に合わせて入場者も増加しました。
これを機に、初めてご観劇されるお客様も楽しめるよう、2本立て2時間30分、幕間30分という現在の上演時間が確立しました。
『ベルサイユのばら』初演
『ベルサイユのばら』初演
宝塚歌劇60周年にあたる1974年の秋、池田理代子作の長編劇画を舞台化した『ベルサイユのばら』を上演、日本芸能史上かつてないブームを巻き起こしました。宝塚歌劇にぴったりの登場人物と活劇あり悲恋ありの物語は、舞台に大輪の花を咲かせ、以降何度も再演を重ねる作品となりました。続いて1977年に上演した大作『風と共に去りぬ』も大ヒット。“ベルばら”に迫る134万人の観客を動員しました。
秀作の誕生とともに、当時の華やかなスターたちが魅力的な舞台を務め、以降の宝塚歌劇ブームに大きく寄与しました。
宝塚バウホールが誕生
宝塚バウホールが誕生
1978年3月、宝塚大劇場に隣接して、客席数約500名の宝塚バウホールが誕生。有望な新人を主要なキャストに配する機会や、スタッフにも活躍の場が提供され、若手の登竜門として今日まで多くのスターや演出家を生み出してきました。「バウ」は英語の「Bow」で、船の舳先のこと。新しい時代へのさきがけとなるようにとの願いを込めて名づけられました。
帰ってきた『ベルサイユのばら』
帰ってきた『ベルサイユのばら』
1989年夏、初演から15年を経て、ファンの熱い要望により“ベルばら”再演が実現しました。雪・星・花・月の順に、各組の持ち味に合わせた脚本、他組スターのゲスト出演などで趣向を凝らした公演は、「平成ベルばら」として大ヒットしました。折しもフランス革命200年、宝塚歌劇75年という記念すべき年にあたり、話題性が高まりました。
旧・宝塚大劇場、68年の歴史に幕
旧・宝塚大劇場、68年の歴史に幕
1924年7月のこけら落とし公演より、優れた劇場として多くの人々に親しまれてきた旧・宝塚大劇場が、1992年、その栄光ある歴史に幕を下ろしました。11月、68年間“心のふるさと”であり続けた旧・宝塚大劇場に感謝と敬愛の念を込めて、宝塚歌劇ゆかりのゲストを招き、サヨナライベント「アデュー・大劇場 宝塚 我が心のふるさと」を開催しました。
新・宝塚大劇場が豪華にオープン
新・宝塚大劇場が豪華にオープン
1993年1月1日、新・宝塚大劇場のこけら落とし公演として、星組による『宝寿頌』『PARFUM DE PARIS』が開幕。宝塚レビューになくてはならない存在の大階段、お馴染みの銀橋はもちろん、セリや盆がスペクタクルな歌劇の舞台を支える、最新の設備を備えた劇場に生まれ変わりました。2527席の客席は前後左右の寸法が広くなり、ちどり配列に。どの席からも舞台の全体が見やすくなるよう設計されました。
コロシアム劇場で初のロンドン公演
コロシアム劇場で初のロンドン公演
80周年を迎えた1994年7月、演劇やミュージカルの本場ウエストエンドにて、初のロンドン公演が行われました。オペラやバレエのメッカといわれるコロシアム劇場で、初めての日本語での芝居ほか3本立ての公演を披露しました。
同年10月に行われた「宝塚歌劇80周年記念大運動会」は、それまで会場となっていた阪急西宮スタジアムでは最後の開催となりました。
大震災を乗り越えて
大震災を乗り越えて
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。宝塚市も未曽有の被害に見舞われたため、公演は中止を余儀なくされ、その間は稽古や公演の場を大阪に移して活動を続けました。休演に追い込まれていた宝塚大劇場は3月31日、星組公演『国境のない地図』の初日より再開、復活を願う多くの皆様の後押しに支えられ、宝塚歌劇は立ち上がることができました。
ウィーン発のミュージカル
『エリザベート』を初演
ウィーン発のミュージカル『エリザベート』を初演
1992年にウィーンで初演された「エリザベート」が、世界各地での上演に先駆けて、1996年、宝塚歌劇により、日本で初めて上演されました。オーストリア皇妃エリザベートの数奇な運命の物語は、宝塚歌劇版では主役を黄泉の帝王・トートとする独自の演出で、各方面より高い評価を得ました。以来再演を重ね、宝塚歌劇を代表するレパートリーとなり、多くのスターを生み出しています。
旧・東京宝塚劇場が閉館
旧・東京宝塚劇場が閉館
建て替えのため1997年12月での閉館が決まった旧・東京宝塚劇場は、劇場が誕生した1934年頃のエピソードを描く『ザッツ・レビュー』の上演を最後に、その幕を閉じました。千秋楽後、サヨナライベント「アデュー・東京宝塚劇場」が開催され、別れを惜しみました。
65年ぶりの新組・宙組誕生
65年ぶりの新組・宙組誕生
1998年1月1日、5番目の組となる宙組が誕生し、「元日口上」で、4組トップコンビの口上に続き、初代トップコンビとなる姿月あさと、花總まりと宙組生全員が紹介されました。選抜メンバーで香港公演に出演後、3月、『エクスカリバー』『シトラスの風』で大劇場公演お披露目となりました。同年、新・東京宝塚劇場開場までの仮設劇場TAKARAZUKA1000days劇場が開場し、5組での東西通年公演を実現しました。
第一回中国公演、そして62年ぶりの
ドイツ・ベルリン公演
第一回中国公演、そして62年ぶりのドイツ・ベルリン公演
1999年10月~11月、北京・上海の2都市で初の中国公演が行われ、両国の親善に寄与しました。また、翌2000年6月~7月には、初の海外公演がベルリンで行われて以来、62年ぶりとなるドイツ・ベルリン公演が、フリードリッヒシュタットパラスト劇場で開催されました。
新・東京宝塚劇場の完成、
『ベルサイユのばら』東西同時上演
新・東京宝塚劇場の完成、『ベルサイユのばら』東西同時上演
21世紀最初の1月1日、新しい東京宝塚劇場がオープンし、『いますみれ花咲く』『愛のソナタ』でこけら落とし公演が開幕しました。またこの年、各組より特別出演のスターが主要な配役をダブル、トリプルキャストで競演する『ベルサイユのばら2001』が東西同時上演され、10年ぶりの“ベルばら”再演として話題になりました。
宝塚歌劇が手軽に
映像で楽しめる時代へ
宝塚歌劇が手軽に映像で楽しめる時代へ
2002年7月1日、宝塚歌劇の衛星放送チャンネル(CS放送)「タカラヅカ・スカイ・ステージ」が開局。国内のどこでも、いつでも手軽に“タカラヅカ”に親しんでいただける時代に突入し、劇場での生の舞台とはまた違う角度で宝塚歌劇を楽しむためのツールとして普及しました。
90周年を迎え、新たな発展を誓う
90周年を迎え、新たな発展を誓う
2004年4月1日、宝塚大劇場にて「宝塚歌劇90周年記念式典」が華やかに開催され、創始者・小林一三の夢と理念を再認識するとともに、未来への新たな発展を誓いました。また、10月には、大阪城ホールで「宝塚歌劇90周年記念大運動会」が開催されました。
日韓国交正常化40周年で初の韓国公演
日韓国交正常化40周年で初の韓国公演
日韓国交正常化40周年を記念し、ソウルの慶熙大学「平和の殿堂」にて、初の韓国公演が実施され、星組による『ベルサイユのばら』『ソウル・オブ・シバ!!』を上演しました。
『ベルサイユのばら』を5年ぶりに再演、
観客動員数400万人を達成
『ベルサイユのばら』を5年ぶりに再演、観客動員数400万人を達成
マリー・アントワネット生誕250周年を記念し、5年ぶりに『ベルサイユのばら』が新たな試みや演出を加えて再演されました。同年1月、星組宝塚大劇場公演中に、同作品は上演回数1500回を達成し、続く3月の雪組宝塚大劇場公演中に、観客動員数400万人を達成しました。
『エリザベート』観客動員数150万人、上演回数700回を記録
『エリザベート』観客動員数150万人、上演回数700回を記録
『エリザベート』が、1996年の初演以来、2007年の雪組宝塚大劇場公演中に観客動員数150万人を達成、同東京宝塚劇場公演中には公演回数が700回に達しました。
『THE SCARLET PIMPERNEL』
日本初上演
『THE SCARLET PIMPERNEL』日本初上演
2008年、13年ぶりの再演となった『ME AND MY GIRL』が東京宝塚劇場の観客動員数100万人を達成。また、ブロードウェイ・ミュージカルの大ヒット作『THE SCARLET PIMPERNEL』を宝塚歌劇が日本で初上演。冒険活劇としての面白さ、すれ違う夫婦の心理描写を描き出し、上質のエンターテインメントとして高く評価されました。
『ロミオとジュリエット』日本初上演
『ロミオとジュリエット』日本初上演
フランスでの初演以来世界各地で上演され国際的なヒットとなった、ミュージカル『ロミオとジュリエット』が、星組選抜メンバーにより日本で初上演し、その洗練された音楽と演出、出演者の熱演で、大好評を博しました。また、再演の呼び声の高かった『THE SCARLET PIMPERNEL』が、初演から2年後、月組で再演されました。
新・東京宝塚劇場 ご来場者1000万人達成
新・東京宝塚劇場 ご来場者1000万人達成
2001年に誕生した東京宝塚劇場が、開場10周年の2011年、3月3日の雪組公演『ロミオとジュリエット』で、ご来場者1000万人を達成しました。
100周年へのカウントダウン
100周年へのカウントダウン
100周年へのカウントダウンとして、月組、雪組で『ベルサイユのばら』が再演されました。主要キャストの役替わりや他組スターの特別出演で話題となり、月組東京宝塚劇場公演中には観客動員数450万人を達成しました。
同年4月に行われた初の台湾公演では、伝統の日本物ショー、台湾に馴染み深いキャラクターが登場するミュージカル、豪華絢爛なレビューの3作品を上演し、国内外から熱い視線が注がれました。
宝塚歌劇100周年
宝塚歌劇100周年
2014年4月、宝塚大劇場にて「100周年記念式典」、イベント「宝塚歌劇100周年夢の祭典」を開催し、先人への感謝を表するとともに、新たな100年に向けての門出を祝いました。また、歌劇の発展に貢献をした方々を紹介する「宝塚歌劇の殿堂」を宝塚大劇場内にオープンしました。10月には10年に一度の大運動会が大阪城ホールで催されました。
同年、宝塚歌劇を代表する作品『ベルサイユのばら』は宙組東京公演中に観客動員数500万人を達成、同じく『エリザベート』も花組宝塚大劇場公演中に上演回数800回、観客動員数200万人を達成するなど、晴れやかなニュースで賑わいました。
様々なジャンルの作品で
より身近な宝塚歌劇へ
様々なジャンルの作品でより身近な宝塚歌劇へ
日本でもいち早く海外ミュージカルを上演し、国内外の文学作品、漫画の舞台化に挑戦してきた宝塚歌劇は、日本のエンターテインメント界全体の地平を切り拓いてきました。100周年以降、宝塚歌劇をより多くの人に親しんでいただけるよう、映画、ゲーム、落語など様々なジャンルとコラボレーションした演目も多数登場しました。
タカラヅカレビュー90周年
タカラヅカレビュー90周年
宝塚歌劇では、日本初のレビュー『モン・パリ』誕生60周年イベント以降、9月1日をレビュー記念日と制定し、2007年まで記念イベントを行っていました。2017年は『モン・パリ』誕生90周年の節目にあたることから、宙組宝塚大劇場公演終了後、出演者全員で“レビュー記念日 賛歌”を歌唱し「レビュー記念日」を祝いました。
『エリザベート』観客動員数
250万人達成
『エリザベート』観客動員数250万人達成
2018年は、初の東京公演実施から100年となる節目の年となりました。
また、人気作『エリザベート』が、同年の月組公演で1996年の初演以来10回目の再演となり、宝塚大劇場公演中に観客動員数250万人を達成しました。
コロナ禍と宝塚歌劇
コロナ禍と宝塚歌劇
新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、日本でも緊急事態宣言が発令され、宝塚歌劇も長期間にわたり度重なる中止を余儀なくされました。この困難を乗り越えるべく、情勢にあわせた新サービスの提供にも尽力。公式Instagramを開設しSNSを通じた情報発信を強化するほか、動画配信サービス「タカラヅカ・オン・デマンド」において、花組宝塚大劇場公演『はいからさんが通る』で初めて公演全編ライブ配信を実施しました。
東京宝塚劇場20周年、
宝塚大劇場 ご来場者3000万人達成
東京宝塚劇場20周年、宝塚大劇場 ご来場者3000万人達成
東京宝塚劇場が、2001年のリニューアルオープンから20周年を迎えました。また、宝塚大劇場では、10月15日、星組公演『柳生忍法帖』『モアー・ダンディズム!』において、1993年1月の開場以来、ご来場者3000万人を達成しました。
さらに、花組と月組が誕生から100周年を迎えた年でもありました。
東京宝塚劇場 ご来場者2000万人達成
東京宝塚劇場 ご来場者2000万人達成
2022年3月16日、東京宝塚劇場では、月組公演『今夜、ロマンス劇場で』『FULL SWING!』において、2001年1月の開場以来、ご来場者2000万人を達成しました。また9月30日、公式アプリ「宝塚歌劇Pocket」のサービスを開始、宝塚歌劇の情報が集約され、アプリならではのコンテンツもお楽しみいただけるようになりました。
東京宝塚劇場 公演回数10000回達成、初の全世界ライブ配信の実施
東京宝塚劇場 公演回数10000回達成、初の全世界ライブ配信の実施
2023年2月4日、東京宝塚劇場が、星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』『JAGUAR BEAT-ジャガービート-』において、2001年1月の開場以来、公演回数10000回を達成しました。
また、宝塚歌劇にとって初の全世界ライブ配信が、宙組東京宝塚劇場公演『カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~』千秋楽で実施され、200以上の国・地域へリアルタイムで舞台映像をお届けしました。
関連リンク(宝塚歌劇公式ホームページ)