宝塚歌劇の歩み(1995年-2004年)

悲しみを乗り越えて再スタート、新世紀の幕開けと共に新たなステージへ

1997年、新しい組の名前が「宙組」と決定 1997年、新しい組の名前が「宙組」と決定

1995年1月17日近畿地方、特に兵庫・淡路島一帯を襲った地震「阪神・淡路大震災」。この大震災により、宝塚歌劇のホームステージ宝塚大劇場は、閉鎖を余儀なくされ、懸命の復旧工事が行われることとなりました。同年3月31日には、大劇場での公演が再開。この悲しみと苦しみを乗り越え、宝塚歌劇は次々と作品を発表。1996年にはウィーンのミュージカル『エリザベート』が大ヒット。多くのファンを魅了した同作は、その後もたびたび上演され、宝塚歌劇の中でも名作として、その名を刻みました。

そんな中1998年には65年振りの新しい組・宙組が誕生するなど、新世紀に向けて、宝塚歌劇に新しい風が吹き始めます。2001年には、新しく東京宝塚劇場がオープン。関東における宝塚歌劇の拠点ができました。   

西暦(元号) 主な出来事
1995年(平成7年)
1月17日、阪神・淡路大震災発生、花組宝塚大劇場公演及び雪組宝塚バウホール公演を休演
1月雪組特別公演、2~3月月組宝塚大劇場公演も休演となる。代替公演として月組バウホール公演が上演される。

2月2日、星組中日劇場公演から公演再開

3月31日に宝塚大劇場復旧、星組宝塚大劇場公演『国境のない地図』上演
1996年(平成8年)
雪組がウィーン・ミュージカル『エリザベート』を上演
小池修一郎が潤色・演出。その後何度も再演され、宝塚の新たな代表作となる。
1997年(平成9年) TAKARAZUKA1000days劇場竣工

5組化に伴う大幅組替え発表
東京通年公演に向けての5組化構想が発表され、それに伴う大幅な組み替えが行なわれた。

新組の名前が「宙組」と発表される

東京宝塚劇場が建て替えのため閉館

1998年(平成10年)
宙組が正式に発足

香港公演
出演者は松本悠里と、姿月あさとら宙組メンバー45名。カルチュラルセンターにて公演。

仮設の東京TAKARAZUKA1000days劇場での公演開始
東京宝塚劇場の建替えの間の仮劇場で、月組『WEST SIDE STORY』でその幕を開けた。
1999年(平成11年) 博多座での公演開始
この年に開場した博多座にて星組『我が愛は山の彼方に』『グレート・センチュリー』を上演。以後、毎年1~2回公演されている。

第一回中国公演
北京の世紀劇院、上海の上海大劇院にて公演。
2000年(平成12年) 宝塚管弦楽団を「宝塚歌劇オーケストラ」に改称

新専科制度発足
各組のスター2名ずつ計10名が専科に異動となった。

ベルリン公演
フリードリッヒ・シュタットパラスト劇場にて公演。

東京TAKARAZUKA1000days劇場サヨナライベント「アデュー・TAKARAZUKA1000days劇場」開催
2001年(平成13年) 新・東京宝塚劇場杮落し公演『いますみれ花咲く』『愛のソナタ』上演
東京宝塚劇場にて拝賀式が行なわれ、その後オープニング・セレモニーを挙行。

星組東京宝塚劇場公演『ベルサイユのばら2001- オスカルとアンドレ編- 』上演
宙組宝塚大劇場公演『ベルサイユのばら2001- フェルゼンとマリー・アントワネット編- 』上演
東西での『ベルサイユのばら』同時上演となる。
2002年(平成14年)
日生劇場で『風と共に去りぬ』を上演
宝塚歌劇88周年記念公演として、専科の轟悠を主演に、前半に雪組、後半に花組が出演して上演した。以後、2008年まで毎年一回、日生劇場にて公演を行なった。

宝塚歌劇衛星放送チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」開局

第2回中国ツアー公演
上海の上海大劇院、北京の世紀劇院、広州の麗江明珠歌劇院にて公演。
2003年(平成15年) 小林一三生誕130年「清く 正しく 美しく」を宝塚大劇場で実施
2004年(平成16年) 宝塚大劇場において宝塚歌劇 90周年記念式典「すみれ花 歳月を重ねて」を挙行

大阪城ホールにおいて「宝塚歌劇90周年記念大運動会」