宝塚歌劇の歩み(1914年-1922年)

プールを改造したパラダイス劇場で、宝塚少女歌劇第一回公演

歌劇「ドンブラコ」舞台写真 歌劇「ドンブラコ」舞台写真

宝塚歌劇の幕開けとして、記念すべき年1914年(大正3年)。4月1日にプールを改造したパラダイス劇場で初めて公演を行い、歌と踊りによる華やかな舞台を披露しました。

その後、1919年には「宝塚音楽歌劇学校」の設立とともに、生徒と卒業生で組織される「宝塚少女歌劇団」が誕生します。歌劇団全体を組織化して運営するこの制度と伝統は、現在も脈々と受け継がれています。

また1921年には観客の増加に対応して、花組と月組が誕生。宝塚歌劇の黎明期を支えました。   

西暦(元号)
世の中の動き
主な出来事
1913年(大正2年) 「宝塚唱歌隊」を組織
7月、第一期生16人を採用。12月に4人を加え、「宝塚少女歌劇養成会」と改称した。
1914年(大正3年)

第一次世界大戦始まる

プールを改造したパラダイス劇場で宝塚少女歌劇第一回公演
演目は管弦合奏と合唱以外に、舞踊(白妙・胡蝶の舞・ほか)と歌劇『ドンブラコ』『浮れ達磨』。観覧料は無料だった。
以後、1921年の春まで正月・春期・夏期・秋期の年四公演が実施されるようになる。
1918年(大正7年) 帝国劇場で初の東京公演

雑誌「歌劇」創刊
歌劇団初の機関誌が創刊される。最初は年4回の季刊で、定価は20銭。1921年3月から月刊に。
1919年(大正8年)
「宝塚音楽歌劇学校」を設立
「宝塚少女歌劇養成会」を解散し、宝塚音楽歌劇学校生徒と卒業生で「宝塚少女歌劇団」を組織。校長に小林一三が就任した。

公会堂劇場が完成
観客の増加に対応するため箕面公会堂を移築、新歌劇場(通称・公会堂劇場)とした。
1921年(大正10年)
ワシントン会議開催(1921年11月~翌年2月)
2部制公演実施
生徒を2部に分け、第1部は新歌劇場(公会堂劇場)で、第2部はパラダイス劇場で公演することに。秋には第1部を花組、第2部を月組と改称した。
1922年(大正11年) 年間8公演を開始

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