華麗なるハプスブルク家の歴史

ヨーロッパで次々と勢力を拡大し、強大な統治国家を築いたハプスブルク家。
その華麗なる歴史のはじまりから、栄華を誇った時代、20世紀前半に訪れるハプスブルク帝国の終焉までを振り返ろう。   

ハプスブルク家 略系図

  

1 ハプスブルク家の繁栄のはじまり

962年に誕生した神聖ローマ帝国に、皇帝のいない「大空位時代」が訪れたのが1256年。皇帝不在の時代を終わらせるため、1273年に選挙でドイツ王に選ばれたのが“貧乏伯爵”と蔑まれていたスイスの小領主ルドルフ・フォン・ハプスブルク(ルドルフ一世)だった。彼を選んだ貴族たちはルドルフ一世を“操縦しやすい人物”と考えていたが、彼は領土拡大に邁進し君主としての手腕を発揮していく。信義に厚い彼は、周りの反発を買わず「いかに愛されるか」をモットーに、慎重に政策を進めた。ルドルフ一世は自身をドイツ王と認めず、強く反発していたボヘミア王オタカル二世を倒すも、その後は彼の本拠地ボヘミアまで攻め入ることはせず、領地の一部であったオーストリアとその周辺の接収だけにとどめた。これがのちに「オーストリア家」とも称されるハプスブルク家の輝かしい歴史の礎となった。   

2 婚姻政策で巧みに勢力を拡大

ハプスブルク家にとってマクシミリアン一世の積極的な婚姻政策は、歴史的に大きな意味をなした。1496年、彼は長男フィリップと長女マルガレーテをスペイン王室と縁組みさせ、スペイン、南イタリア、ハンガリー、ボヘミアまで領地を広げる。彼の支配はスペイン領の新大陸やフィリピンにまで及んだ。そして16世紀、カール五世の時代にハプスブルク帝国は全盛期を迎える。
その後、三十年戦争での大敗やフランスとの確執を切り抜けながら、1742年、マリア・テレジアが夫フランツ一世と共同統治を開始。夫婦は16人の子どもをもうけ政略結婚による外交革命を行った。末娘のマリー・アントワネットを永年の宿敵、フランスのブルボン王家ルイ・オーギュスト(のちのルイ十六世)と結婚させたのもその一環である。女帝マリア・テレジアは義務教育の導入、商工業や交易の発展など多角的な改革を進め、偉大な功績を残した。
他にも、ナポレオン一世に嫁いだハプスブルク家のオーストリア大公女マリー・ルイーズも、婚姻政策の波にのまれた一人だった。   

この時代に関連する宝塚歌劇作品

  • 2010年星組公演『ハプスブルクの宝剣 —魂に宿る光—』
    マリア・テレジアとフランツ一世が物語の中心人物として登場した

  • 2015年花組公演『ベルサイユのばら —フェルゼンとマリー・アントワネット編—』
    マリー・アントワネットとスウェーデン貴族フェルゼンとの恋を描いている

  • 2014年星組公演『眠らない男・ナポレオン —愛と栄光の涯(はて)に—』
    マリー・ルイーズがハプスブルク家の婚姻政策によりナポレオンとの結婚を強いられる場面が描かれた

3 国政が揺れ続けたフランツとエリザベートの時代

フランス革命、ナポレオンの欧州制圧と歴史の大きな変遷を経て、ハプスブルク家の権力に陰りが見え始めていた。1848年にフランスで起こった二月革命をきっかけに、ヨーロッパ全土で自由主義、ナショナリズムの運動が盛んになり、オーストリアではウィーン三月革命によって宰相メッテルニヒが失脚するなど混乱が続いた。そのさなかで皇帝に即位したのがわずか18歳のフランツ・ヨーゼフ一世。大公妃ゾフィーは夫フランツ・カール大公に見切りをつけ、長男フランツを皇位につけ自ら権力を握ったのだ。1854年、フランツはバイエルン公女エリザベートと結婚。名門貴族ながらも自由な気質もつヴィッテルスバッハ家のエリザベートは、時代に逆行し絶対君主制に徹する旧態依然のハプスブルク家に嫁ぎ、精神的に追い詰められてゆく。

1859年、イタリア独立戦争が勃発。フランツ自ら陣頭指揮にあたるもこの戦いに大敗。このときエリザベートもウィーン近郊のラクセンブルク宮殿で負傷したオーストリア兵士を献身的に介護した。その後もプロイセンに普墺戦争で敗北し、オーストリア帝国(ハプスブルク家)を盟主とするドイツ連邦は解体。多民族王朝であるハプスブルク帝国は、独立運動の気運の高まりと共に国力が衰退していった。
そこで、フランツはハンガリーの独立欲求を抑えるために1867年オーストリア=ハンガリー帝国を誕生させる。この二重帝国成立に貢献したのが、かねてからハンガリーを愛し、ハンガリー語を習得するなどして、民衆から絶大な人気を誇っていたエリザベートの存在だ。フランツとエリザベートは自らがハンガリーの国王と王妃に即位し、ブタペストで盛大に戴冠式が執り行われた。   

4 700年にわたるハプスブルク家の終焉

その後ヨーロッパの勢力図は刻々と変わっていき、19世紀終盤になると、ハプスブルク帝国はかつてのような権威を失っていた。ハプスブルク家内では皇太子ルドルフの自殺、王妃エリザベートの暗殺など次々と不幸が押し寄せた。それでもフランツ・ヨーゼフ一世は黙々と国家の業務をこなし、堅実な皇帝として68年にわたる在位を誇った。彼が亡くなる2年前の1914年、サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の次期皇位継承者のフランツ・フェルディナンド大公夫妻が暗殺される。この「サラエボ事件」が1つのきっかけとなり、第一次世界大戦が始まった。1916年にフランツ・ヨーゼフ一世が亡くなった後はカール一世が即位するが、第一次世界大戦の敗北により1918年カール一世が退位し、約700年にわたるハプスブルク家の君主国家は幕を閉じた。   

この時代に関連する宝塚歌劇作品

  • 2013年宙組公演『うたかたの恋』
    皇太子ルドルフの悲劇的な死を、男爵令嬢マリー・ヴェッツェラとの儚い恋を中心に描いた作品

参考文献
・『皇妃エリザベートとハプスブルク家:帝都ウィーンに輝いた美貌のプリンセス』(別冊歴史読本 80)(2004)新人物往来社.
・『THEハプスブルク王家:華麗なる王朝の700年史』(別冊歴史読本 46)(2009)新人物往来社.
・森美代子『エリザベート:美と旅に生きた彷徨の皇妃』(ビジュアル選書)(2011)新人物往来社.
  

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