演出家 上田久美子が語る

演出家 上田久美子が語る『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』の見どころ<前編>

細やかな感情の揺れで観客を魅了する芝居を発表してきた若手演出家・上田久美子が、初のショー作品に挑む。演出家デビュー作『月雲(つきぐも)の皇子(みこ)』(2013年月組)でタッグを組んだ珠城りょう主演で、今回はどのような作品世界が飛び出すのか。上田に話を聞いた。

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斬新な設定のショーのようだがどのような作品に?

ほとんどのキャラクターが通し役という、ストーリー仕立てのショーです。ひとつの国家に統一された地球は、全大陸が平和化されています。その国家が建国された103年前に、「こんな地球は息苦しい!」と月に出て行ってしまった珠城りょう演じるバッディが久々に地球に戻ってくると、さまざまな面で社会が無菌化されている。あらゆる犯罪が103年間起きていないその国家で、悪党のバッディが自由に振る舞うのを、周りが取り締まろうとし、愛希れいか扮する女捜査官・グッディをはじめ、みんなが彼を追いかけます。でも、いつしかバッディの自由で型破りな面に惹かれ、彼の魅力に地球の人たちが感化されていきます。いつとは定めていない未来の話ですが、本当のSFではなく一種現実のパロディのような、社会風刺的要素のあるコメディータッチなショーですね。

どこからその構想は生まれたのか。

もともと私はインド映画、ボリウッドが好きなのですが、ボリウッドにはピカレスクなヒーローと言いますか、ルパン三世のように悪いことをしても不思議と観客に爽快感を与えるキャラクターがよく出てきます。そういう映画が好きで観ていた自分と、今の世の中に対して感じることがすり合わされて、この物語が出来上がりました。宝塚歌劇の舞台でも、ちょっと悪っぽいジゴロやギャングの場面がよくありますよね。“格好いい”ということは“悪っぽいこと”と表裏一体で、人はなぜかそういう人物に惹かれてしまう…という部分を描きたいです。現在の社会は良くも悪くも善悪の線引きが厳しくなり、以前はグレーゾーンだった範囲も悪と見なされるようになったと感じています。それが決していけないわけではありませんが、人間は無菌状態に置かれると、「もっと自由でいたい」という願望が芽生えるものです。「今日は無礼講!」とお祭り気分を楽しめる、解放感を得られるショーにしたいなと思っています。

バッディとグッディの関係は? また、その他のキャラクターは?

バッディは捜査のために自分を追いかけてくるグッディに対して、「こんなに追いかけてくるなんて、俺のことが好きなのか」と勘違いする、自分ではクールでエレガントだと思っている少し天然なキャラクターです(笑)。もちろん、ふたりの間に恋の要素はあるのですが、バッディの天然さはポイントになると思います(笑)。ふたり以外にも、出演者にはさまざまなキャラクターを通し役で演じてもらいます。ついバッディの側についてしまう人、地球の国家の王女に心惹かれてしまう悪党など、個性豊かなキャラクターたちが登場しますので、お楽しみに。

初めてショー作品を手掛けることについて。

実は、宝塚歌劇団に入団した時は、ショー作家になりたいと思っていました。岡田敬二先生のロマンチック・レビューの映像を偶然拝見する機会があり、プロローグからワクワクし、直感的に「これだ!」と思いました。また、その映像の中に岡田先生の談話があり、職業としてショーの演出家が存在することを知りました。そこが入り口だったので、私自身は伝統的なタカラヅカが匂い立つ、遠くから美しい世界をのぞいているような幻想的なショーが好きなのです。でも、いざ自分が創作するとなると、そういうものが自分の中からは自然に湧いてこず…。私の場合は、好きなものと自分が創れるものとは違うようです。芝居もそうですが、自分の中から湧きあがってくるもので創らないと、エネルギーを失ったものになってしまうと思っています。

芝居とショーとでは創作の面で違いがあるか。

芝居は、人間が生きていくなかで障害を乗り越えていくという話がベースになるので、ある種、ネガティブな要素を入れないといけないですよね。最初からハッピーな人がハッピーになるという芝居は成立しないと思っておりますし。でも、ショーでは基本的にネガティブな要素を入れる必要はなく、ポジティブなものを自分の中から出していけばいいので、正直、精神的にはラクに感じていまして(笑)、歌詞もすぐに思い描け、とてもワクワクしながら創ることができました。