宝塚歌劇100周年のあゆみ

主な出来事
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ソ連とフランス4ヵ月公演の旅
9月22日から翌年1月15日にかけておこなった第3回ヨーロッパ公演は、当時ソ連とフランス2ヵ国だけのツアーではあったが、その意義はひときわ大きかったのである。冷戦下の社会主義国の本拠ソビエト連邦の5都市で72回にわたって公演したことも意義深く、また、レビューの本場パリでの38回の公演で宝塚歌劇団のスタッフが制作した“洋物ショー”が高く評価されたことも、特筆されるべきことであった。
『風と共に去りぬ』に1年半で134万人
『ベルサイユのばら』で社会現象的な支持を得た宝塚歌劇団は、続く大作『風と共に去りぬ』でまたまた大ヒットを飛ばすことになった。初演は3月~5月の月組公演。続いて5月~6月は星組が公演した。翌年秋まで宝塚大劇場・東京宝塚劇場・全国ツアー公演と上演を重ね、「ベルばら」に拮抗する134万人の観客を動員したのであった。
『ベルサイユのばら』が燃えあがらせた宝塚歌劇ブームを、そのエネルギーを引き継いだ傑作『風と共に去りぬ』が、より確かなものに育てていった。その理由は優秀な作品が多く提供されたことにもあったが、華やかなスターたちが輩出し、共鳴しあって魅力的な舞台をしっかり構成していったことも大きな要因になっていた。
客席数500名の劇場「宝塚バウホール」誕生
宝塚に新しい劇場「宝塚バウホール」が誕生したのは3月18日であった。
こじんまりとして観客に親しみを与えるバウホールの舞台は、間口16m、高さ7m、奥行き14mと意外に広く、この種の小劇場としては最新の音響・照明設備を整えたグレードの高い劇場であった。その上、最後列からでも出演者の表情が手にとるように見え、臨場感の増幅のために効果を発揮するのであった。
この新しい劇場の誕生によって宝塚歌劇団は新しい時代に入った。
バウホールの登場により、各組とも出演者は30人以内ながら年2回程度は新しい作品に取り組むことができるようになり、有望な新人を主役または準主役として送り出す機会を得ることになったのである。また、バウホール公演は歌劇団のスタッフにも新しい活躍の場を提供した。こうして、この小さな劇場は、計り知れないほどに大きな成果をタカラヅカにもたらすことになったのであった。
バウホールの「バウ」は英語の「Bow」で、船の舳先のこと。新しい時代へのさきがけとなるように、願いをこめて名づけられた。
「レビュー記念日」を制定する
日本最初のレビュー『モン・パリ』の初演の舞台が宝塚大劇場で初日を迎えたのは、遠く昭和2年(1927)9月1日のことであった。昭和62年(1987)9月1日は、それから60年目という記念すべき日。この日、宝塚大劇場では『モン・パリ誕生60年ザ・レビュースコープ』20場を上演中であったが、フィナーレの舞台に峰さを理、高汐巴、平みち、剣幸など各組のスターが出演して記念の催しを開いた。
そして、翌63年(1988)からは毎年9月1日を「レビュー記念日」とすることが決まった。年ごとに、新しい気持ちで記念の日の意義に思いを通わせるために、特別な催しを開こうというものである。
(2007年での開催をもって、このイベントは終了した)
『ベルサイユのばら』が帰ってきた
宝塚歌劇で初めて『ベルサイユのばら』が上演されるにあたっては、劇化を熱望するファンの投書が後押しになったとされる。そして、初演から満15年。「ベルばら」再演へのファンの熱い要望は、とぎれなく寄せられていたが、待望の再演が実現したのは平成元年(1989)の夏。雪・星・花・月の順で各組がそれぞれにふさわしい脚本で上演。他の組からスターのゲスト出演など、楽しい趣向も多く取り入れられ、「昭和ベルばら」に続いて「平成ベルばら」も大ヒットとなったのである。
折りしもフランス革命200年、宝塚歌劇75年という記念すべき年にあたり、話題性が高まり、ファンの期待が盛り上がるなかで、幕が開かれた。
宝塚の歴史に「昭和のベルばら」と「平成のベルばら」が並立したことで、その比較などを通じてファンの話題はさらに広がっていった。
さようなら旧大劇場68年の歴史に幕
大正13年(1924)7月15日に新築工事を完成させ、その4日後の7月19日にめでたくこけら落とし公演をおこなった旧・宝塚大劇場。思い出深い優れた劇場として多くの人々に親しまれてきたのであったが、平成4年(1992)12月で、その栄光ある歴史を閉じることになった。
最後を飾ったのは、作・演出柴田侑宏、杜けあきが大石内蔵助を演じる『忠臣蔵』である。「花に散り雪に散り」の副題が、かすかに旧・大劇場の終焉を暗示する演し目となった。
11月7日と8日の両日、旧大劇場で『アデュー・大劇場 宝塚 我が心のふるさと』が開催された。68年間“心のふるさと”であり続けた旧・宝塚大劇場に感謝と敬愛の思いを込めて贈る感謝のショーであった。東京公演中の月組を除く全生徒と各界で活躍を続ける卒業生たち。それに、宝塚歌劇ゆかりのゲストを招いての超豪華なステージが実現したのであった。
旧・宝塚大劇場の雪組公演『忠臣蔵』の千秋楽は、杜けあきのサヨナラショーがおこなわれた11月24日。この日をもって、旧・大劇場68年5ヵ月の歴史は終わりを告げたのである。
新しい宝塚大劇場が豪華にオープン
平成4年(1992)12月12日、新・宝塚大劇場舞台披き。新しい劇場は阪急電鉄社長小林公平の舞台披きの儀式「注連縄切り」によって開かれ、春日野八千代と松本悠里の「切り火」で清められた。そして、杜けあきを中心とした生徒たちによる祝儀の舞い「宝三番叟」で露払い。稲穂を形どった鈴の音と天地の神に歓びの心を伝える足拍子で、これからの繁栄と無事を祈ったのであった。
宝塚レビューになくてはならない存在である大階段はもちろんのこと、お馴染みの銀橋も健在。三分割できる大ゼリを含む大小8つのセリ、直径14.6mの盆が華やかにスペクタクルな歌劇の舞台を支えることになる。
客席は旧・大劇場の2883席より356席少ない2527席。一席の前後左右の寸法が広くなり、全体の配列も、ちどり配列に変わった。また、全席から銀橋での演技が見えるようになり、どの席からも舞台の全体が見やすくなった。
平成5年(1993)1月1日、新・宝塚大劇場のこけら落とし星組公演が開幕した。ファンタスティックな夢がひらく新しい歌劇の殿堂で、華麗な1ページ目を刻んだのは、植田紳爾作・演出による祝典花絵巻『宝寿頌』と、作・演出小原弘稔のグランドショー『PARFUM DE PARIS』であった。

宝塚歌劇 豆知識

宝塚歌劇に関する豆知識をご紹介いたします。各項目をクリックすると解説が表示されます。
  • 男役と女役
  • 組の歴史
  • 緑の袴
  • ラインダンス
  • 清く正しく美しく
  • 大階段と銀橋
  • シャンシャン
  • 新人公演
  • さよなら公演