19世紀末。ヨーロッパ随一の美貌を謳われた、オーストリア=ハンガリー帝国皇妃エリザベートが、イタリア人アナーキスト、ルイジ・ルキーニに殺害された。ルキーニは独房で自殺を図る。
煉獄の裁判所では、犯罪行為から100年も経ったにも拘わらず、暗殺者ルキーニを未だ尋問している。ルキーニは、エリザベートは死と恋仲だった、エリザベート自身が死を望んでいたと主張する。そして、それを証明するため、エリザベートと同時代を生きた人々を霊廟から呼び起こす。黄泉の帝王トート(死)が現れ、自らの皇后への愛を告白する。
時代は1853年に遡る。少女のエリザベートはバイエルン王女として自由を謳歌していた。ある時、綱渡りに挑戦しようとしたエリザベートは、ロープから落ち、意識不明となる。冥界に迷い込んだエリザベートにトートは一目で惹き付けられる。トートはエリザベートに生命を返してやる。そしてその愛を得ようと、彼女を追い続ける決意をする。こうしてエリザベートを巡る愛と死の輪舞が始まった。
ウィーンの宮廷では、若き皇帝フランツ・ヨーゼフが母親である皇太后ゾフィーの助言と指示のもと、広大な国を治めていた。ゾフィーはフランツと彼のいとこのヘレネとの結婚を望み、見合いを計画する。しかし、フランツが見初めたのは妹のエリザベートだった。
1854年、ウィーンで二人の結婚式が行われる。まだ若く子供っぽい新皇后に呆れと不満を漏らす人々。そんな周囲の思惑をよそに、ワルツを踊る二人。トートは嫉妬を感じつつ二人を見つめ、ついにエリザベートに話しかける、「最後のダンスは俺のものだ」と。
古いしきたりと皇后としての務めをゾフィーに押し付けられたエリザベートはフランツに助けを求める。しかし彼は取り合おうとはしなかった。失望したエリザベートにトートは近付くが、エリザベートは屈しなかった。結婚2年目に生まれた子供さえ、ゾフィーに取り上げられたエリザベートは、ゾフィーへの憎悪の念を募らせていく。
オーストリアは相次ぐ戦争、チフスの流行、革命の足音と、不安な状況が続き、フランツは疲れ果てていた。彼はエリザベートに救いを求めるが、彼女は自分かゾフィーか、フランツに決断を迫る。そして自分の美しさを武器に人生を生き抜こうと考えたエリザベートは、惜しげもなく金を使い、ますます美貌に磨きをかけるのだった。一方、苦しい生活を強いられている民衆は、皇后への反感を増していった。トートは、反ハプスブルクを唱えるハンガリーの革命家エルマーたちをそそのかし、革命の気運を高めていく。
ついにフランツは、エリザベートのすべての要求を受け入れる。エリザベートはゾフィーとの確執に勝利したのだった。自分の力で生きていく自信をつけたエリザベートの輝くばかりの姿をトートが見つめていた。
1867年、ブタペストで戴冠式が行われ、エリザベートはハンガリー王妃となる。忙しいエリザベートは、幼い皇太子ルドルフを顧みる間もなく、そんな孤独なルドルフにもトートは近付いて行く。
成人したルドルフは、エルマーたちに接触し、ハンガリーの独立運動を推し進める。しかしそれがフランツの知るところとなり、ルドルフの皇位継承は危ういものとなる。絶望したルドルフに近付いたトートは、彼の命を奪ってしまう。
失意のエリザベートは放浪の旅を続けた。そんなエリザベートをフランツが訪ねる。フランツはウィーンに戻るよう懇願するが、もはや二人の心が一つになることはなかった。
1898年、ジュネーブ。トートからナイフを渡されたルキーニが桟橋を行くエリザベートに襲いかかる。その瞬間、トートの存在に気付いたエリザベートは、その愛を受け入れるべく、ルキーニに向き直る。ナイフは左胸を刺した。トートはエリザベートを情熱的に抱きしめ、二人は天空へと昇っていくのだった。
トート | 瀬奈じゅん |
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エリザベート | 凪七 瑠海 |
フランツ・ヨーゼフ | 霧矢 大夢 |
ルイジ・ルキーニ | 龍 真咲 |
ルドルフ (3名による役替り) | 遼河はるひ 青樹 泉 明日海りお |