宝塚歌劇の歩み(1951年-1961年)
宝塚歌劇の人気が再燃、国内外での華々しい活躍
1950年代は、戦後の動乱期を経て、日本再生にかける人々のエネルギーが大きく高まっていった時代でした。特に1956年の流行語「もはや戦後ではない」に象徴されるように、驚異的なスピードで復興が遂げられていた頃でもあります。
そんなエネルギッシュな時代と呼応するように、1950年初頭には、宝塚歌劇の人気が再燃。暗く苦しい世相を吹き飛ばすかのような明るい舞台に注目が集まりました。春日野八千代、寿美花代ら人気スターを輩出し、パワフルな舞台が繰り広げられた他、演出家・高木史朗は現代日本を題材にしたミュージカルやシャンソン・ショーなどで、奇才ぶりを発揮しました。
『華麗なる千拍子』や『火の鳥』の芸術祭賞受賞をはじめ、海外公演の成功など宝塚歌劇もまた新しい時代に突入していくのでした。
西暦(元号) 世の中の動き |
主な出来事 |
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1951年(昭和26年) 日米安全保障条約調印 |
『虞美人』初演
白井鐵造作のグランド・レビューで、初の1本立て大作。3ヶ月続演して30万3千人、大劇場入場者数の記録を更新した。 |
1954年(昭和29年) |
宝塚大劇場において「宝塚歌劇40周年式典」
4月1日、兵庫県宝塚町と良元村が合併して宝塚市が誕生した。 |
1955年(昭和30年) | 第一回ハワイ公演 ホノルルの日系人青年会議所主催の「さくらまつり」に招かれたもので、翌1956年に第二回、1957年には第三回、1966年には第四回ハワイ公演が実施された。 東京宝塚劇場での公演が星組公演『虞美人』で再開 新日本放送ラジオで「宝塚ファンコンテスト」放送開始 阪急電鉄提供番組。毎日放送に引き継がれ1974年10月6日まで1,007回放送された。 |
1957年(昭和32年) | 宝塚歌劇の創設者小林一三翁が84歳で逝去 宝塚大劇場で荘厳な音楽葬が行なわれた。 宝塚音楽学校が2年制を採用 本年度入学生徒から予科1年・本科1年に。 |
1958年(昭和33年) | 関西テレビで宝塚の定期番組放送開始 最初は「宝塚テレビ劇場」としてスタート、次々と改称され内容も変化しながら、1995年1月まで続いた。 |
1959年(昭和34年) 皇太子明仁親王殿下 御成婚 |
カナダ・アメリカ公演に出発 カナダのバンクーバーと、合衆国のロサンゼルス、ニューヨークなど31都市を巡演。 |
1960年(昭和35年) | 宝塚新温泉を「宝塚ファミリーランド」と改称、宝塚ヘルスセンター開業 『華麗なる千拍子』初演 高木史朗作のショーで、10月東京公演で芸術祭賞を受賞。 翌年にかけて73万人の観客を集めた。 |
1961年(昭和36年) | 日本民俗舞踊『火の島』上演 日本郷土芸能研究会による日本民族舞踊シリーズの第4集で、11月の東京公演が芸術祭賞を受賞した。 |