宝塚歌劇の歩み(1962年-1981年)
ブロードウェイミュージカル上演、そして空前のタカラヅカブーム到来
驚異的な経済復興を成し遂げ、人々や世間が国内から世界へと目を向けていったのが1960年代。宝塚歌劇においては、作品作りに海外の力を取り入れるようになりました。
その先駆けとして、パディ・ストーン氏の振付による『シャンゴ』を始めとした一連のショー作品により宝塚歌劇に格段のダンス技術の向上がもたらされ、1967年『オクラホマ!』、1968年には『ウエストサイド物語』といった、初のブロードウェイ作品に挑戦するための礎となりました。
1970年代には『ベルサイユのばら』が上演され、日本芸能史上空前の大ブームに。観客動員数も140万人を数え、まさに宝塚の黄金時代を築きました。
西暦(元号) 世の中の動き |
主な出来事 |
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1964年(昭和39年) 東京オリンピック開催 |
東京の新宿コマ劇場で初公演
東京宝塚劇場のほか、1971年までは年2回、以後1981年まではほぼ年1回、新宿コマ劇場で公演されるようになる。 「宝塚歌劇50周年・物故者慰霊祭」を宝塚大劇場で執行 宝塚大劇場で「宝塚歌劇50周年記念式典」 この式典で「宝塚歌劇団団歌」を発表した。 |
1965年(昭和40年) |
パリ公演(第2回ヨーロッパ公演)
33回公演。初めて洋物ショーを上演した。 |
1967年(昭和42年) | 宝塚歌劇初の外国ミュージカル『オクラホマ!』を上演 中日劇場での公演開始 花組『日本の幻想』『煌めく星の下に』を上演。以後、毎年1~2回公演されている。 |
1968年(昭和43年) |
二作目のブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド物語』上演
11月の東京公演『ウエストサイド物語』で芸術祭賞大賞を受賞する。 |
1969年(昭和44年) | 三作目のミュージカル『回転木馬』を上演 |
1970年(昭和45年) | 『タカラヅカEXPO'70』上演 大阪千里で開かれた日本万国博覧会協賛の和洋ショー。順次各組で公演した。この公演から上演時間を30分短縮させ、幕間を入れた3時間という現在の形となる。 |
1973年(昭和48年) | 『パレード・タカラヅカ』上演 小林一三生誕百年記念公演。 第一回東南アジア公演 ビルマ(現ミャンマー)、マレーシア、シンガポールの3ヵ国で和洋のショーを上演。 |
1974年(昭和49年) | 宝塚大劇場で「宝塚歌劇60周年記念式典」 阪急西宮球場にて宝塚歌劇大運動会を開催 『ベルサイユのばら』初演 池田理代子原作、植田紳爾脚本・演出。1976年までに各組で上演、観客合計140万人という空前の大ブームとなる。 |
1975年(昭和50年) | 宝塚大劇場の公演期間を1ヶ月から45日制に変更 月組公演『春の踊り』『ラムール・ア・パリ』から公演期間を一ヶ月半とし、これまでの年12公演が8公演となった。 第3回ヨーロッパ公演に出発
ソビエト連邦(現ロシア)の5都市とパリで公演。 |
1977年(昭和52年) | 『風と共に去りぬ』初演 アメリカ文学の最高傑作を植田紳爾脚本・演出で上演。翌年にかけて4組で上演、観客数は134万人に達した。 |
1978年(昭和53年) | 「宝塚バウホール」が竣工 昭和47年8月に取り壊された宝塚新芸劇場(元の中劇場)以来の第二劇場の誕生。第1回公演は花組『ホフマン物語』。 中南米公演 メキシコ、アルゼンチン、ブラジルで公演。 |
1981年(昭和56年) | 「逸翁に捧げる夕べ」を宝塚大劇場で開催 阪急西宮球場で「宝塚歌劇大運動会」 |