時代背景
『THE SCARLET PIMPERNEL(スカーレット ピンパーネル)』は、18世紀のフランス革命の時代を背景としています。長きに亘りフランスを支配してきた王族や貴族たち特権階級に対し、一般市民が反旗を翻した市民革命、それがフランス革命でした。
バスティーユ牢獄の襲撃から始まった革命は成功し、新しい時代が訪れたかに見えました。しかし、その後、革命政府は急激に恐怖政治へと舵を切っていきます。
『THE SCARLET PIMPERNEL』は、恐怖政治が行われ多くの人々が断頭台の露と消えていく日々が続いていた、まさにその時代を舞台に、イギリス貴族であるパーシヴァル・ブレイクニー(通称パーシー)を筆頭とした謎の秘密結社“ピンパーネル団”が、無実の罪で命を脅かされているフランスの貴族たちを救うという活躍を描いた痛快且つ、スリル満点の歴史冒険作品です。
よりこの作品をお楽しみいただくために、物語の舞台となるフランス革命時代の歴史的背景をご紹介しましょう。
フランス革命とは?
1789年にブルボン王朝と特権階級に対して、一般市民が反旗を翻した市民革命。
財政悪化に伴う新規課税導入のために招集された三部会で、訴えが聞き入れられなかった平民を代表する第三身分の議員たちが一部の特権身分の議員たちを加えて国民議会を成立させます。しかし議場の使用を禁じられた彼らは球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓いました(テニスコートの誓い)。特権階級の人びとは国王に市民たちへの武力弾圧を迫り、また財政改革を進めて市民に人気のあったネッケルを罷免させます。これに対して怒りが頂点に達したパリの民衆が、バスティーユ牢獄を襲撃しました。この民衆の怒りが、最終的にはブルボン王朝を崩壊へと導くことになります。
ワンポイント
『THE SCARLET PIMPERNEL』のヒロイン、マルグリット・サン・ジュストは革命の闘士としてフランス革命に参加した過去を持つ人物として描かれています。
恐怖政治の断行
バスティーユ襲撃から一月半後に“フランス人権宣言”が採択されると王政は停止、共和制が宣言され、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットが裁判によってギロチンにかけられます。この処刑はヨーロッパ諸国の支配層に動揺と恐怖を与え、立憲君主制の国イギリスはフランスと断交することとなります。
一方で、国内各地での反乱に対抗するために革命政府が取った措置、それはいわゆる“恐怖政治”と呼ばれるものでした。革命の推進を少しでも妨げる恐れのある者は次々と断頭台に送られます。この血生臭い恐怖政治に拍車をかけた要因の一つが、1793年革命裁判所の設置です。裁判が簡略化されたことで処刑される人が急増、恐怖政治が敷かれた1793~1794年のわずか2年の間に、反革派のみならず、裕福な貴族やブルジョアジー、有名な学者、聖職者、果ては罪のない一般民衆も含め、フランス国内で処刑された人数は4万人とも5万人とも言われています。
立憲君主制に基づく国家であるイギリスを始めとしたヨーロッパ諸国は、王族の処刑という衝撃的なできごとに危機感を抱き、フランス革命の拡大を阻止するための軍事同盟を結びました。
ワンポイント
『THE SCARLET PIMPERNEL』の主人公パーシーは、イギリス貴族社会からフランスへ冷ややかな視線が注がれる中で、危機に陥ったフランス貴族を救い出す人物として描かれています。
公安委員会の独裁
マクシミリアン・ロベスピエールを中心とするジャコバン党山岳派は次々と急進的な政策を行います。この恐怖政治を遂行したのが公安委員会と言われる組織です。当初は毎月改選される革命政府内の委員会のひとつに過ぎなかったのですが、穏健共和派であるジロンド派を追放すると反革派に対する取り締まりを強化して全政府機関が公安委員会の監視下に置かれ、次第に公安委員会は絶大な勢力を誇るようになっていきます。
しかし、かつての仲間でさえも粛清する恐怖政治の徹底ぶりが、ブルジョアジーの反感を買い、当初は恐怖政治を支持していた民衆でさえも明日は我が身と恐怖におののきました。こうした民意とともに、公安委員会の存在を疎ましく思った一般議員が反旗を翻し、テルミドール反動に発展しました。これをもって約2年間の恐怖政治に終止符が打たれます。
ワンポイント
『THE SCARLET PIMPERNEL』の物語では、主人公パーシーに対立する人物として描かれるショーヴランがこの公安委員会のメンバーとして登場します。
イギリス貴族パーシヴァル・ブレイクニーを主人公に、フランス革命後の動乱期を生きた人びとを鮮やかに描いた『THE SCARLET PIMPERNEL』。新生星組が挑むこの大作ミュージカルにご期待ください。